昭和24年(1949年) | 4月、丸永(株)代行として統制衣料の地方配給に従事する業務を大西弥市郎が長浜市元浜町で開業。(大西商店個人経営 |
昭和25年(1950年) | 7月、会社設立、社名を豊国商事株式会社とする。(資本金---万円) |
昭和27年(1952年) | 東レナイロン学生服開発により学生衣料の販売を開始する。 |
昭和28年(1953年) | 東レナイロンカッターシャツ及びブラウス取扱開始。 |
昭和31年(1956年) | 尾崎商事株式会社(現:管公学生服株式会社)と取引始める。 |
昭和32年(1957年) | 旭一シャイン工業と取引開始、毛及びアクリル二次製品の滋賀・福井代理店となる。 |
昭和34年(1959年) | 林タオル(株)と取引開始、タオルの納入始める。 |
昭和38年(1962年) | タイガーシャツと共にカンコーシャツ取扱いする。 |
昭和38年(1963年) | 社屋に新展示場増築完成 |
昭和39年(1964年) | 東レトリコットシャツ取扱いする。 |
管公製品拡販に伴い滋賀管公会を結成。 |
日綿実業東京支社の生糸販売代行業務開始。長浜地区ちりめん織布工場と取引を結ぶ。 |
昭和40年(1965年) | 東レ滋賀工場販売促進室が設立され、東レスクール拠点代理店として発足する。 |
昭和41年(1966年) | 東レテトロンクィーン女子学生服、東レスクール通学服及び、東レ・トレロン体育服装を中心に県下小中高校へ納入開始。 |
昭和42年(1967年) | 東レスクール水着の取扱開始。 |
管公体育服装が全国中学校体育振興会推薦指定商品となる。 |
昭和43年(1968年) | 管公スプリンター学生服新発売。学生衣料業界も加工糸時代来る。 |
社員の一部、香港・台湾海外研修へ派遣 |
昭和44年(1969年) | カジュアル、カレヂアン共に服装の多様化に伴いファッション製品に力を入れる。 |
昭和45年(1970年) | 大西須美社長が会長職に就任するのに伴い、大西一男専務が社長に就任する。 |
11月、●市の東部に新国道8号線が開通するとの情報を得た為、八幡東町に1.485㎡を確保し、新社屋を建築移転する。 |
昭和46年(1971年) | ジーンズブーム到来。尾崎商事㈱「ビッグベル」のブランド新発売。 |
昭和47年(1972年) | プリントシャツが紳士服装に定着、ネクタイと共に男性のおしゃれ急伸。 |
大西一男社長欧州各国の繊維業界視察(ローマ、ミラノ、パリ、マドリード、ジュネーブ、ロンドン、リュセンブルグ) |
昭和48年(1973年) | 原反が高騰し、商品入荷円滑を欠き、仮需要で繊維製品が玉不足となる。 |
9月、かねて病気療養中であった大西林三相談役が死去。18日に社葬を営む。 |
大西一男社長米国西海岸のショッピングセンター視察。メキシコ経由で帰国。 |
婦人ファッション以外、あらゆる商品の仮需要が激しくる。 |
昭和49年(1974年) | 政府の凍結政策が効いて、インフレ小康を保つ。 |
消費者の買い控えにより、売れ行き不振が春より始まる。大不況が始まり、入進学対象の学生衣料にも買い控えムードが広がる。 |
昭和50年(1975年) | 5月、NCR小型コンピューターを導入 |
6月、創立25周年記念の社員北海道旅行を実施する。
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好況な婦人衣料を中心に第二事業部制採用する。 |
昭和51年(1976年) | 学生衣料買い換え需要が高まり、久々に売れ行き好調 |
物流センター荷受室増設 |
昭和52年(1977年) | 資本金1.000万円に増資 |
昭和53年(1978年) | 6月、大津市におの浜に大津営業所開設 |
資本金1,500万円に増資 |
昭和55年(1980年) | びわ湖国体が開催され、協賛の記念タオル、Tシャツを作成する。 |
昭和58年(1983年) | カンコー体育衣料が県中体連の推薦商品となる。 |
男子学生服に日本被服連盟の認証マークが初めてつけられ。 |
昭和59年(1984年) | 県内に6校の高校が新設され、制服を受注する。 |
「学生服展」を開催する。 |
滋賀カンコー会が20回を迎え、尾崎商事㈱米子工場を見学する。 |
昭和61年(1986年) | 1月、大津営業所をJR瀬田駅前に移転。 |
平成 2年(1990年) | 5月、全国カンコー会が長浜と大津で開催される。 |
平成 4年(1992年) | 企業ユニフォーム部門拡販する。 |
平成 5年(1993年) | 学生服展を近江八幡で開催する。 |
平成 7年(1995年) | 学生服展を大津市におの浜で開催する。 |
平成 9年(1997年) | 4月、大津市大萱町に430㎡を確保し、大津営業所の新社屋を建築移転する。 |
平成12年(2000年) | コンピューターの2000年問題に対応する事を期にこれまでのオフィスコンピューターによる数千万円の投資を止めて、パソコンLANによって社員全員で基幹業務に従事する様に大幅なシステム変更を実施する。 |
平成13年(2001年) | 8月、大西一男の長男、大西健一が代表取締役専務に就任。 |
12月、大西健一、代表取締役社長に就任。大西一男は、代表取締役会長に就任する。 |
平成20年(2008年) | 7月、創業58年を迎え、御得意先様、仕入先様に大きな変貌を来してきた事に注視し、新たに御得意先様、仕入先様との交流を深める為に、「豊国会」と名付けて、発足し、第一回総会を北ビワコホテルにて開催する。 |
平成22年(2010年) | 6月、有森裕子氏(アトランタ・バルセロナオリンピックの女子マラソンでのメダリスト)をお迎えして、スポーツ・クリニックを開催する。 |
平成23年(2011年) | 6月、望月聡氏(元なでしこジャパンコーチ)によるサッカークリニックとラモス瑠偉氏によるサッカー講演会を開催する。 |
平成24年(2012年) | 6月、シオノギ製薬女子ソフトボール部をお迎えしてソフトボールクリニックを開催する。 |
平成25年(2013年) | 5月、かねて病気療養中であった会長大西一男が死去
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会長大西一男の社葬を北ビワコホテルグラツィエで執り行う。 |
6月、パナソニックパンサーズを迎えて、バレーボールクリニックを開催する。 |
大津市錦織町に大津支店「ビッグウェスト」を開店する。 |
平成26年(2014年) | 6月、望月 聡氏(元なでしこジャパンコーチ)によるサッカークリニックを開催。 |
9月、中川晃一 代表取締役社長に就任。これに伴い、大西健一は代表取締役会長に就任する。 |
平成27年(2015年) | 6月、日本精工女子ソフトボール部をお迎えしてソフトボールクリニックを開催する。 |
8月、長浜市八幡東町に長浜支店「りっこらんど」を開店する。 |
平成28年(2016年) | 6月、パナソニックパンサーズを迎えて、バレーボールクリニックを開催する。 |
9月~11月、創業70周年記念事業として近江八幡、長浜、草津の三会場でスーツウェアーを主体にした展示会を開催する。 |
平成29年(2017年) | 1月、八幡東町の社屋が老朽化し、耐震構造化されていなかったので田村町に2.640㎡を確保して新築し、移転する。 |
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